命を削るように長生きをする?北斎に見るWant To
今、焦ってこれを書いています。
書きたくなって、「すみだ北斎美術館」から慌てて帰ってきました。
先ほどのブロクで書いた通り今日はセミナーに行くのをやめました。
そして、バイクに乗ることにしました。
何がしたい?と自分に問いかけたら、バイクだったので。
そして、バイクに乗った後、何がしたい?と自分に問いかけたら、「美術館とかいいかも」と浮かんだので、美術館に行きました。
色々とGoogle Map検索したのですが、結果として選んだのが北斎美術館でした。
検索結果
ウェブの結果(サイトリンク付き)
北斎美術館は、両国駅近くにあり、隣には公園があってたくさんの子ども達が遊んでいました。4階の常設展は大変すばらしく、かの有名な富岳三十六景も展示されてありましたし、タッチパネルを使った体験型の展示もありましたし、楽しかったです。
そこで自分を強烈に駆り立てたのが、北斎が84才ぐらいの時の展示物です。
それは他の絵師が北斎が絵を描いている姿を描いた絵から想像し、実物大の大きさでリアルに再現した展示物でした。
博物館とかで原始人や動物たちがリアルなロボット模型でゆっくりと動くアレです。
こちらのリンクの写真にそれが出ています。(最後の写真です。)
北斎の横には娘。北斎は布団をかぶりながら、絵を描いています。
https://hash-casa.com/2018/11/30/hokusaimuseum/
この模型を思わず座ってジッと眺めていたんです。
そして、感じ取ってしまいました。(勝手に。)
晩年になっても(北斎は90歳で亡くなっています)、描き続けるこの意欲。執念。魂。
すごいな、と。
凄まじいな、と。
そして、思ったんです。
自分は、北斎ほどの意欲で何かをしているのか?と。
そして、焦りました。
自分は本当にしたいことをしているだろうか?と。
自分は今駆り立てられるように、今しなければいけないこと(真のWant To)をしているだろうか?と。
そして、こうも思いました。
自分がここまで駆り立てられることは、言葉を紡ぐことだ、と。
直観で降りてきました。
そうしたら、書きたくて書きたくてたまらなくなりました。
このWant To(まさに欠如を埋めたい衝動)に駆られ、急いで家に戻ってブログを書きたくなりました。
そして、今書いています。
私には、北斎は命を削るようにして描いているように見えました。
パラドックスですが、それが長生きの秘訣だったのではないでしょうか。
命を削るようにして燃やすので、ますます健康になる。
もっと描いてやろうと思うから、健康になる。
もっと長生きしたい、できると思う。
それが結果として健康につながったのではないかと。
ちなみに江戸時代の平均死亡年齢は、「男28.7歳、女28.6歳」だそうです。
https://xn--u9j228h2jmngbv0k.com/2019/02/%E5%AF%BF%E5%91%BD/
(もちろん命を削るようにして、文字通り早世した人もいるでしょうが、そういう議論ではないです。)
私は、みなさんは、命を削るように何かができているでしょうか?
駆り立てられるような強い衝動で生きているでしょうか?
(一度駆り立てられれば、その後は慣性に任せることもあるでしょうが。)
(男性であれば)目の前に大好きな女の子がいて、自分をベッドに誘っていたら、そりゃもう飛び込むでしょう。(怖い?w据え膳食わぬは男の恥。飛び込みましょう。ww)
THE YELLOW MOKEYの「悲しきASIAN BOY」の歌詞を思い出します。
http://www.utamap.com/showkasi.php?surl=B13729
でも桜色の口唇に触れたいのに口唇に
僕は弱さの真中じゃ命は散らせない
死ぬ必要はありませんが、死ぬつもりで触れに行きましょう。
いや、例えが悪かったかもしれません。
ただ、Want Toの駆り立てられ具合としては、そんな感じの勢いです。
さて、話を元に戻さないと…^^
ここで言いたいことは、命を削るような何か、駆り立てられるような何か、そういうことをしているか?ということでした。
一言で言えば、Want To。
私は今間違いなくWant Toでこれを書いています。
北斎に刺激され、絵を描くのではなく、文字を書いています。
伝えたいあなた(あなたたち)に書いています。
あなたにもWant Toがあるはずだと信じて、これを書いています。
あなたの夢は何ですか?
それは物真似ではないですか?
それは誰かのコピーではないですか?
それは本当にあなたですか?
あなたが駆り立てられるようなことですか?
あなたが命を削りたくなるようなものですか?
あなたが全てを捨ててもやりたいと思えるものですか?
百万人に批判されてもやりたいことですか?
私も自分に問い続けます。
みなさんも問うてみてください。
そして、結果として、我々は健康になることもあるし、例え不健康になったとしても幸福な人生を歩めるのではないでしょうか。