それはやらされているだけなんじゃないの?Want Toと中毒の違い

今日は朝の4時半までNetflixYou Tubeを観ていました。

それが昨日のWant Toだったのでしょう(かね?)。

起きたのは11時過ぎです。

 

Netflixでは、「殺人を無罪にする方法」という映画を観ていました。

複雑に絡み合う伏線と人間模様、そして法廷闘争の知的戦略性とストーリー全体に絡む倫理への問い、役者の演技の素晴らしさ…どれをとっても最高に面白いです。

 

You Tubeは何を観ていたのでしょうか。

実は、忘れました…www

 

ここで少し注意しておきたいことがあります。

自分がやっていることは、Want Toなのか?ただの悪い中毒なのか?という問いです。

 

これはとても判断が難しく、私自身も研究中ですが、今はまずこの二つが存在していることをお伝えしておきたいです。

 

・Want To:欠乏から来る、駆り立てられるような衝動的欲求、埋め合わせたいと懇願するよな欲求…(恐らくw)

 

・悪い中毒:タバコ中毒、アルコール中毒グルテン中毒、カゼイン中毒、ネット/SNS中毒…などなど(※グルテンカゼインは食品に含まれる物質です。そのうち、このお話しもしていきましょう。)

 

簡単に言ってしまえば、やりたいと思ってやっているのか、やらされているのかを区別する必要があるのです。私はこのブログの冒頭に、「それが昨日のWant Toだったのでしょう(かね?)。」と述べました。カッコ書きで疑問にしている通り、私自身がこれを精査しなければいけません。

You Tubeは、リコメンドで出てくる動画も、動画そのものの構成も非常によく仕組まれており、脳が喜ぶようになっています。つい見てしまうわけです。

これを「Want Toで観ていた」と言えるかどうかには疑問が残りますね。

ちなみにNetflixは私にとって知的栄養と言えるものとして、Want Toで観ていたと考えています。と書いていたら、You Tubeは金持ち系の成功者のドキュメンタリーなどを観ていたことを思い出しました。www これも成功法則の知的欲求でした。www

 

いずれにせよ、Want Toなのか?中毒なのか?は、極めて重要な精査であり、判断が難しいものです。

 

これは、自分がやりたい!と思っているゴールやWant Toだと勘違いしている物真似(ミメーシス)問題とも並ぶ、ゴール・Want To問題の二大巨頭だと考えています。

 

引き続き自分で人体実験しながら皆さんにもその成果をお伝えしていきます。

 

さて、このままでは消化不良でしょうからw、私が「これはWant Toだろうな」と思うことを伝えておきます。

 

例えば、私の場合、ニューハーフの子と遊ぶのが好きです。

女の子も嫌いじゃないですが、なぜか同じぐらいか、それ以上にニューハーフが好きなのです。

今日の2時半~3時半はニューハーフの子とLINEしながら、筋トレもしてました。その子はおばあちゃんが亡くなって落ち込んでいて、それを労わっていました。

 

どうして好きなのかは自分でも分かりません。(いや、ある程度は分かっていますが。)

 

高校生の時、美術の授業で配られたスケッチブックに女性の裸体を描き、そこに男性器を付け加えて描き眺めていました。中学時代の初恋は女性でしたが、中学、高校では好きな男性もいました。その時は、とまどいもありましたし、男性が好きな自分に悩みました。若かったから、性の倒錯が起きたのかな?ぐらいに思っていましたが、成人したのちにほぼ男性の身体をしたニューハーフと行為に及んだこともありますので、若気の至りみたいなものではなく、自分の中に根付いている何かがあるのでしょう。(ちなみに、同性愛は中世にから否定されるようになったようで、古代ではむしろ一般に受け入れられていたそうです。ここはまた別途お話ししたいですね。)

 

そして、今でもニューハーフのバーに行ったり、デートしたり、LINEでやり取りして楽しんでいるわけです。

これは明らかにやりたくてやっている、いや、「やりたくてやってしまっている」に近い感覚があり、これはWant Toだと思っているのです。私の中に何かしらの衝動があるような感覚です。つい観てしまうTVやYou Tubeとは違うのです。(うちにはTVはありませんが。)

 

そして、一見すると世間的にはおぞましいと思われそうなもの、忌避されているもの、自分では社会に受け入れてもらえないと思うもの、こういうものにも真のWant To、真のゴールが隠れている可能性があるのです。